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によりて與へらるゝ事物を超えて用ゐらるゝ時には其の思考は全く空なるものとなる、一言に云へば、吾人の知識は經驗の範圍以外に到達せざるなり、然らば經驗の範圍を超えたる所に吾人の確實なる知識を到達せしむるものといふ意味にての形而上學の成り立ち得べからざることは以上カントが知識の成り立ちを論じたる結論としても當さに豫想せらるべきことなり。カントは其が知識論に於ける第三の問題に入りて形而上學に於ける綜合的判定の先天的に立てらるゝことを否みヺルフ學派等に謂ふ所の形而上學の議論が確實なる根據を有せざることを詳しく論ぜむと試みたり。されど又彼れは形而上學の問題に吾人の心を運ばすことを以て吾人が知識的要求のおのづから然らしむる所なりとせり。ただ彼れの意見は其の事の知識的要求上の自然なるに拘らず之れを以て吾人の確實なる知識を成せるものとは考ふ可からずと云ふにあり。之れを要するに、彼れの意は先きにヒュームが心理的硏究の上よりして因果律を初めとし其の他純理哲學上の觀念は吾人の心理作用の自然の結果として形づくらるゝものなれども其等は知識上確實なるものといふことを得ず、即ち心理的作用の自然の結果なると共に