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いふ、此の消極的意義に於いても亦吾人はそれに關する智識を得ること能はず、されど吾人は吾が經驗を限るものとして其の如き意味にての物自體を考へざるべからず、何となれば若し其の如きものを置かずば吾人の經驗に現はれたるもののみ實なるものにして其の他には何物も存在せずといふ斷定に陷らざるべからず、而して是れは吾人の智識の成り立ちの上より觀て吾人の斷定し得可きことにあらざれば也。故に吾人は吾人の智識の達し得る範圍を現象と名づけ而して其れに對して物自體の界即ち眞實體界を置かざるべからず、換言すれば、物自體は界限的槪念(Grenzbegriff)として吾人の用ゐざるを得ざるものなりと。斯く考へてカントは現象及び物自體の二界を分かち吾人の知識をば唯だ前者に對してのみ効力あるものとなせり。プラトーン以後哲學界に於ける現象界と眞實體界との區別がカントの智識論に於いて如何なる新面目を著けたるかを見よ。
理性の觀念
《吾人の智識は經驗の範圍外に到達せず、されど形而上學の問題の硏究に入るは知識的要求の自然也。》〔二四〕上に論じたる所によりて明らかなるが如く悟性の槪念が感性的直觀