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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/560

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智識の成り立ちより見て唯だ經驗の範圍內に於いてのみ云ふべきもの、即ち含蓄的(immanent)のものにして超越的(transzendent)のものに非ず。但し吾人の槪念によりて經驗以外の事物を考ふることの出來ざるにあらず、然れども其の思考は畢竟架空なるものにして智識を成すものとは云ふべからず、何となれば、智識の對境は範疇の圖式によりて(詳言すれば範疇の圖式を直觀より來たれるものに用ゐて)始めて成り立つものにして其等經驗の範圍外に出でたる思考は終に智識の對境を作ること能はざればなり。故に其等の範疇を其が圖式によりて直觀の範圍內に用ゐれば(換言すれば經驗の範圍內に含蓄的に用ゐれば)其處に智識を成すといふことを得、然れども其の範圍を超えて用ゐれば其は唯だ空なる思考たるに止まりて其處に確實なる智識は形づくられざる也。但し若し吾人の悟性即ち思考力が智識の對境其の物を與ふることを得ば、換言すれば、吾人の考ふる(即ち思考の形式を用ゐる)こと其の事に於いて又能く思考の對境を造り出だすことを得るものならば其處に吾人の今現には有せざる一種の智識を形づくることを得るならむ、カントは其の如き能力を名づけて理智的直觀(intellektuelle Anschauung)と云へり、即ち理智的