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所たるなり。而して前後して生ずる事柄に對して彼れが是れを生じたりと見る(即ち因果の關係を成せるものと見る)も又相共存する物體を無關係のものとせず相關聯して一なる自然界を成すと見るも是れ亦吾人の思想の成り立ちの然らしむる所なり。カント又以爲へらく、自然界の一切の事物は分量を有し居るものなり、故に之れに關する科學的知識は數學的のものならざるべからず。されば數學的に考定し得る限り吾人は科學的知識を有し得るなり、故に數學を用ゐ得ざる心理學及び化學は嚴密に謂ふ自然科學の範圍內に在らず、此等は唯だ叙述的のものなり。而して自然界に起こる一切の事件を數學的に考ふるや之れを空間及び時間の直觀に於いてせざるべからず、即ち運動(即ち數てふ觀念を時空に結びたるもの)といふ觀念を用ゐざるべからず、物理學上は一切の現象を分析して之れを物體の運動に歸し得べし。之れを要するに、運動の法則、範疇及び數理に基づきて吾人の先天的に(即ち遍通的に)又必然的に立し得る所のもの是れ即ち自然科學の純理哲學的基本を成すものなりと。カントは又物質の成り立ち其の物を牽引力及び反撥力の相互の釣合の結果として證明せむと試みたり。