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と見之れに對して此等の雜多なるものに統一を與ふる槪念を吾人に供するものを名づけて悟性(Verstand)と云へり。

《悟性の槪念は思考の形式なり。》〔一六〕上に述べたるが如く悟性の吾人に供する槪念を以て事物に統一を與ふる是れ即ち其を考ふるといふことなり、故に其等の槪念は時空が直觀の形式なるが如くに吾人の思考(Denken)の形式なり、此等形式によりて思考するに及びて始めて感覺上の雜多なるものが客觀的事物となるなり、而して此等思考の形式即ち悟性の槪念は吾人が事物を考ふる上に於いて必須なるものなること恰も時空の形式が直觀上に必須なるが如し、而して其等の必須なること是れ取りも直さず其等の先天的なることを示すものなり。若し其等が吾人の悟性の先天的形式ならずば吾人は自然界の事物に關して遍通必然なる知識を有する能はざるべきこと、換言すれば、自然科學が嚴密なる意味に於いて成り立つこと能はざること恰も時空の形式あらずば數學の成り立つべからざるが如くなるべし。故に一言に云へば、經驗上の事物に統一を與へて之れを眞に客觀的事物として成り立たしめ又自然界をして整然たる客觀的規律によりて支配さるゝものたらしむるは畢竟ずるに