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《遍通必然なるは現象に關する知識のみ。》〔一三〕時空は心其の物の直觀の仕方、換言すれば、其の主觀的即ち心性的形式にして吾人の知覺に於ける凡べての物は皆件の形式の中に現ずべきものなり。故に時空は所謂實物(心性以外に其が實在を有するもの)にもあらねば其の物の性質にもあらず又其の相互の關係にもあらず。若し其の如きものならば吾人は前に云へる如く其を先天的のものとして吾人の心に浮かぶること能はざると共に數學に於いても綜合的判定が先天的に形づくらるといふこと能はざるべし。而して時空の先天的ならむには其れが上に云へる如き意味にて主觀的、心性的ならざるべからず。斯くの如き思想の聯續よりしてカントに取りては遍通及び必然なると先天的なると主觀的なるは不離なるものとなれり。此のゆゑに吾人が時空に於いて經驗する事柄は凡べて吾人の見樣を離れたるものに非ず、即ち吾人の經驗は吾人の見樣に現はれたる樣、換言すれば現象(Erscheinung. Phoenomena)の外に出でずといふべし。此の故に又カントに取りては主觀的なると現象的なるとは相離れざるものとなれり。斯くして彼れは吾人の知識を論じて其の遍通性及び必然性を救ひ得たると同時に其の確實に言ひ定め得べき範圍は唯だ現象に限ら