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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/527

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形づくるものなかるべからず之れを形づくるものは吾人の心性其の物の具ふる働きやうなり、此の働き樣は經驗によりて來たるものに非ずと。即ち彼れに於いてはライブニッツが謂はゆる生得といふ觀念は更に改められて吾人が事物を經驗する時に於ける心性其の物の働き樣を意昧することとなり、此の働き樣によりて知識の素材なる感覺を形づくりて始めて茲に眞實の經驗は成り上がることとなるなり。斯く形式は心性其の物の先天的なる働き樣なるが更に素材なくしては形式其の物は全く空なるものなり、又形式なくしては素材は全く混沌たるものなり。素材其の物は聊かも關係、秩序、規律を具へず。順序を與へず、統一することを爲さず、形づくることを爲さずしては其處に知識と名づくべきものは成り上がるべからず、而して斯く感覺に順序を與へ、そを統一し形づくる作用是れ即ち知識に於ける先天的要素なり。

《經驗說及び唯理說の誤謬。》〔八〕經驗說の誤謬は件の先天的要素を認めざるに在り、故に經驗說の立脚地よりしては吾人の知識に與ふるに遍通性及び必然性を以てすること能はず、畢竟ずれば個人的、主觀的なる觀念以外に眞實に客觀的効力を有すとせらるゝ知識を