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カントよりも數學上精密なる論を立てゝ之れを其の一千七百九十六年に公にしたる "Exposition du Système du Monde" に於いて發表せり。此の星雲說に於いてカント及びラプラースは自然科學の機械的說明に於いてニュートンよりも更に一步を進めたるものなり、蓋しニュートンは遊星及び彗星の軌道を亂らざらしむることに於いて神が時々に外より其の力を添ふることを要するが如く考へたりしが此の星雲說に基づきたる天文上の構說は一切其の如き外より添ふる力を要せず、あらゆる星體の運動を自然の機械的法則を以て說明するこを得と爲せるものなり。
ライブニッツ‐ヺルフ學派の影響の下に於いてカントが著作したるものの中にて先づ最も初年に屬するは彼れがケーニヒスベルヒ大學に講師たりし時の論文 "Principiorum Primorum Cognitionis Metaphysicae Nova Dilucidatio"(一七五五出版)なり。彼れが此の著に說ける所は其の要點に於いてはおほむねライブニッツ‐ヺルフ學派の所說を守りたれどもそを說き變へたる所亦少なからず、蓋し彼れは該學派の中に生長したりとはいふものから初めよりして此の派の說き傳へたる所を全く