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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/502

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Transzendentalismus を開き出だしたる所以なり(下去って說く所を看よ)。斯くして知識論の根本的問題がカントに於いて最も明らかに言ひ現はさるゝに至れるは彼れが唯理學派と經驗學派との衝突の間に其の問題の存在する所を發見したるが故にして、而して彼れは之れを說かむが爲めに唯理學派にもあらず又經驗學派にもあらざる批評的哲學(即ち先づ吾人が哲學的硏究の機關として用ゐる吾人の知識其のものの起原、成り立ち及び界限を批評的に硏究することを目的とするもの)の新天地を開けるなり。

《カントが生涯、性行。》〔二〕カントが家の所傳によれば其の家はもと蘇格蘭より獨逸に移住したるものなりと云ふ。彼れの父はケーニヒスベルヒに住みて馬具用の皮帶を造ることを業として其の家計は貧しかりき。イムマヌエル、カントは一千七百二十四年四月二十二日其が家の長男として生まれぬ。彼れの父母は當時盛んに行はれたるピエティスト風の宗旨を取りて固く之れを信じたり。此の敬虔の念に富みて和睦せる父母が其の家庭に施したる道德上嚴肅なる敎育はカントの性質に拔くべからざる痕跡を遺せりと考へらる。彼れは一千七百四十年以後其の生地ケー