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の點に於いては彼等も亦獨斷的(dogmatisch)たる獘あるを免れず、かく考へてカントは彼れ以前の哲學者が先づ吾人の知識の成り立ちを考ふることを爲さずして直ちに實在の硏究に進み行けるを(殊にヺルフ學派の唯理說を)名づけて獨斷說(Dogmatismus)と呼び做せり、而して彼れは此の唯理學派の獨斷說とヒュームの懷疑說との上に出でて新らしく知識硏究の道を開き此の知識論を以て哲學の當さに先づ開拓すべき領域となせり。後に哲學史上知識論を以て哲學の全部分又は其の主要なる部分と見做す說あるは盖し彼れに始まれるなり。但し彼れに至るまでの哲學思想の發達を顧みればロックの已に彼れに先きだちて知識論上の問題を揭げ出だし其の方面に向かひて哲學の硏究を進めむとしたるあれども近世の歐洲哲學に於いて知識論を以て甚だ主要なる問題たらしめ且つ此の問題の最も深き意味を明らかにしたるものはカントなり。而して其の然る所以を尋ぬれば是れカントが、同じく知識の硏究を爲すにもロック等の經驗心理學的觀察を以て正當に其の間題の所在と性質とを看取したるものに非ずとなしたることにあり。盖しカントが知識論はロック等の硏究と全く其の著眼點を異にせり、是れ彼れが