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如くに哲學上の知識をも亦槪念の相互の關係として之れを演繹的に論じ定めむと欲することとなれり。されどかくの如く唯だ槪念を分析して演繹的に論じ行くことによりては實際吾人の知識の內容を得ること能はず其の進步を進め行く途すがら知らず經驗上の事柄を取り入れざるを得ざりしことは前にヺルフ學派を叙せし所に於いて已に述べたるが如し。他方に於ける經驗學派の立場よりすれば其の極まる所はヒュームにして、而して彼れに至りては吾人は自然界に關しても遍通なる學理的法則を立て得ざることとなり、因果律といふも亦是れ吾人の心理上の主觀的習慣に外ならずといふに至れり。斯くの如く一方に在りては遍通の理を說かむことを力めて終に知識の內容を爲す事柄を得る道を說き得ざる失あり、他方に於いては知識の內容を成す事柄を得る道を說くことに力めて而かも之れを知識となす所以の理を得る途なきに至る困難あり。是れ畢竟ずるに一方は吾人の知識の形式をのみ與へ他方は吾人の知識の素材をのみ與へむとするが如きものにして其の形式と素材とを引き離す所是れ即ち兩學派各〻の獘の存する所にはあらざるか。かく見て吾人の知識は形式と素材との兩要素を以て成れるもの