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已にトマジウスに於いて認め得る如く獨逸の啓蒙時代に於ける思想界の問題の最も主なるものは道德上の論なりき、而して道德論に於いては吾人人生の目的を以て各〻が完全になることと幸福を享くることとに置けり。盖し完全及び幸福といふことはヺルフ學派に於いて已に相混和したるものとして說かれたりしが、茲に至りライブニッツが謂はゆる發達といふことの深き意義を了解し得ずなれりしにつれて右の二者の中幸福の方漸次に重きを爲すこととなれり。此の道德問題に結んで當時の思想界の問題とせる所は吾人に幸福を與ふる神の存在を證すること(是れ專ら天地に現はれ居る目的を根據として論じたるもの)及び吾人が來世の存在を證することに集注せり。斯く神及び來世の存在を論證せむと力めたることの動機は詮ずれば個々人が各〻幸福なる生活を送らむことを求むるの要求に在りき、是れ即ちヺルテールが宗敎の根據を吾人が道德上の要求に置きルソーが其を感情の要求に置けると相類似したる思想の調子を示せるものと云ひて可なり。又同一の原因よりして當時に於いては心理的觀察に心を用ゐること盛んに行はれ殊に吾人の心理の感情的作用の方面に注意を向くることとなれり。