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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/454

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の筆に成れりと思はる。されど其の中にはディデロー、グリム(Grimm 一七二三獨逸に生まれ一八○七死す)及び數學者ラグランジ(Lagrange 一七三六―一八一三)等の筆に成れる部分もあり。此の書は啓蒙的思想の唯物的結論を發表したるものの中にて最も組織立ちたるもの、最も槪括する所の廣きもの、又最も推論の堅實なるものなり。

此の書は自然論的機械說を世界に於ける一切の事物に打ち擴げたるものなり。說いて曰はく、運動する物質の外に宇宙に存在するものなし、物質其の物には廣がりといふことの在るが如く又運動といふ力の具はれるあり、而して吾人は凡べての出來事を說明する上に於いて是れより以外に要するものなし。唯だ吾人が看ることの足らずして自然の原因を發見し得ざるところより靈魂又は神といふものを持ち來たれども是れは眞實說明といふべきものに非ず、寧ろ學術を殺すものと云はざるべからず。吾人が自らを二重に見て心物二種の實體より成れるが如くに思ふ理由は吾人が唯だ我が身體に於ける外形上の運動を見るのみにして其を來たしたる內部の精微なる分子の運動を見ざるがゆゑなり。世人はかく自己