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を二重にするが如く又此の世界をも二重に見て物界の外に靈なる神といふものを置けど神てふ觀念は畢竟ずるに此の世に種々の災禍あり而して其の炎禍の起因を考ふることに於いて世人の無知なるより作り出だされたるものなり。神を以て世界を造り且つ動かす非物質のものと思ふも其の觀念を詳かに考ふれば非物質といひ無限といふが如き消極的性質を附することに於いて已に其の觀念の價値なきものなることを認むるを得。神の存在を云ふは無用のことなり、何となれば凡べての物が宇宙といふ一組織を成し居る外に何物の存する筈なく、また其の存在する全體のものと其を活動せしむる所以のものとを分かつべき理由なし。神といふ觀念は啻だ無用なるのみならずまた自家撞著のものなり、何となれば一方に於いては上に云へるが如き消極的性質を附すると其に他方に於いて又人間の如く限りある者に於いてのみ言ひ得べき道德的性質をも附すればなり。神てふ觀念は啻だ自家撞著なるのみならず又有害なるものなり、何となれば世人をして宗敎上現世を輕んじて只管來世を望ましめ、又神の怒りを思うては吾人をして無益なる不安の念を懷かしめ、又宗旨上の憎惡を惹き起こしては人々をして相反