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ライブニッツの思想に感染したる所あり。彼れは其の主なる著書 "De la Nature"(千七百六十一年出版)及び其の他の著述に於いて說いて曰はく、凡べての物は限りなく多くの形を示し、而して其等は皆連續せる段階を成し、其の各段階は皆心と物との二要素を具へ居るものなり。但し此の二要素は無數に異なれる割合に於いて相混和せられて其の一方に多く開發するほどに他方に於いて減退す。生物の活動に於いても亦此くの如く精神の方面に於いて力を用ゐたる程は身體の方面に於いて失はれ、身體の方面に於いて增長したるほどは精神の方面に於いて萎縮す。而して此の兩方面の中、基礎となるものは寧ろ物質の方にして精神は物質より出でて又物質に還ると見らるべきものなり。全世界はまた兩極の間に振れ動く搖錘の如くにして生と死、善と惡、美と醜、眞と僞の二面を等しく具ふ、此の二面の調和是れ即ち宇宙の調和といふべきものなり。

ボネーは其の感覺論の立脚地より神といふ觀念も亦感覺上の觀念(idées sensibles)より來たると云へり。されど彼れはもとより神の存在を否みたるに非ず。ロビネーも亦神を置き之れを以て萬物の不可知なる原因とせり。以爲へらく、吾人は無