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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/411

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リー等の世界觀に疑訝を挾まざるべからず。バトラーが自然宗敎を唱ふる論者に向かひて用ゐたる論法はさかさまに彼れ自らの宗敎觀に對して用ゐらるべし、盖し彼れの言へる如く天啓的宗敎の敎義に對して提出し得べき非難の主要なるものはまた能く自然宗敎の敎義に對しても提出せらるべしと見たる以上は、天啓的宗敎と共に自然宗敎も亦其の立つべき十分の根據を失ふこととなるも亦止むを得ざる結果なりと云はざるべからず。斯くして終にニュートンの世界觀に基礎を求めたる宗敎觀に對しても懷疑的傾向の生じ來たれることは決して解し難きことにあらず。

かくて宗敎上の信仰を維持するにも宇宙に現はれたる意匠を根據とする論證よりも寧ろ唯だ道德上の要求に其の基礎を置かむとする傾向を生ずるに至れり、而して此の思想の變化は現にヺルテールに於いて已に吾人の發見するところなり。吾人はさきにデイズムに於いて道德的傾向の重きを爲せるを見たりしが、こゝに至りては此の傾向のみが專らなるものとなり其れのみが宗敎的信仰の根據を爲すに至れるものと云ひて可なり。