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ッカー(Ablaham Tucker)によりて已に略〻明瞭に言ひ現はされたり。彼れ其の著 "Light of Nature pursued" 一七六八―一七七四出版)に於いて論じて曰はく、吾人を動かして或行爲に出でしむる所以のものは凡べて自己の滿足を豫期する心なり、而して如何なることが德行なるかは其が一般の幸福を來たすといふことによりて知られ、またかゝる德行を爲すことの各人の利益となることは造化主の至善なることによりて證せらると考へたり。

此の立場よりして更に組織的に其の說を唱へたるものは一千七百八十五年に『道德學及び政治學の原理』("Principles of Moral and Political Philosophy")を著はしたるペーレー(Paley 一七四三―一八〇五)なり。彼れは吾人が德行を爲さざるべからずと思惟する所以を說くに神より得たる命令を以てし而して神の命ずるところに吾人の從ふと從はざるとによりて賞罰の行はるゝ是れ吾人をして德行に出でしむる所以なりと考へ、また一般の幸福を標準として吾人の行爲を定むるに當たり、或は通常正しとせらるゝことに背きても決して特に不幸を來たすが如きことの待ち設けられざる塲合ありとするも猶ほ通則に從ひて善良なる習慣を養ふ必要よ