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《シャフツベリー及びヒュームの說を折衷せるアダム、スミスの道德說。》〔八〕ヒュームの意見に從へば、吾人の道德上嘉みする所は利益ある結果卽ち快樂を來たすといふことに在り、然るに吾人は其等利益ある結果の來たされたることを見る時に於いても尙ほ道德上其を嘉みすることなき場合あるは何故ぞや、唯だ快樂が來たさるといふ結果に吾人の同情することのみを以ては道德的感情の成り立ちを說明し難き所あるに非ずや。ヒュームの說く所に從へば、吾人が通常道德的性質を帶べりと見做さざるものをも猶ほかゝる同情の對象(object)と見做さざるべからず、故に彼れは實際吾人の嘉みするものの中に通常道德的と云はれざるもの、例へば單に辯才に長じたること等をも含めたり。かくの如く單に快樂といふ結果を來たすといふことのみを以て道德上に謂ふ是非の念の說明し難き所あるよりヒュームの朋友にして其の名著『富國論』("Wealth of Nations")によりて經濟學の祖とまで呼ばれたるアダム、スミス(Adam Smith 一七二三―一七九〇)は一千七百五十四年に出版せる其の著 "Theory of Moral Sentiments" に於いてシャフツベリーの立場に立ち戾りて吾人の感情動機に對して直接に同情することを說きたり。即ち彼れはシャフツベリーの說にヒュームの唱へたる同情を結び來たれる