コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/376

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ることの區別を爲して曰はく、前者は行爲の結果が實際祉會一般の幸福を來たすものなる塲合を云ひ後者は行爲の善き心褂より出でたる塲合をいふと。

《マンデヸルの利己的道德說。》〔五〕シャフツベリーは專ら各個人及び社會に於ける善美なる方面及び其の調和を現はすべき方面に著眼したりしが之れに反して專ら吾人の性情に於ける利己的にして醜惡なる方面に著眼し而して之れを以て社會活動の動力なりと說きたる者をマンデヸル(Bernald de Mandeville 一六七〇―一七三三、血統は佛蘭西人にして和蘭に生まれ倫敦府に在りて醫を業とせり)とす。彼れは當時英國に於いて物論を惹き起こしたる其の著『蜜蜂物語』("The Fable of the Bees, or Private Vices made Public Benefits" 是れ初め一千七〇六年に公にせる詩を更に增補して一千七百十四年に出版せるものなり)に於いて大膽に吾人の凡べての活動は悉く自利を根據とすることを論ぜり。彼れ以爲へらく、吾人は元來愛他的のものに非ず、社會のかく成り立ちて維持せらるゝは畢竟追從諂諛に由るものなり、之れを證せむとせば各人が私かに欲し私かに思ふ所を其のまゝに公に云ひ爲すと見よ其の結果や果たして如何なるべき。吾人は皆飮食名譽の欲又は奢侈逸樂を願ふ心によりて動か