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又或條件が備はらば自然に發生し來たりて人爲を以て故意に造り出だせるものに非ず、といふ點に在り。故にシャフツベリーに取りては上に謂はゆる道德官は吾人の性に具したる所のもの即ち生得のものなり。

シャフツベリーに從へば、德行と各個人の利益とは特に神意を以て附加せらるゝ賞罰に待つ所なくして相合するものなり、故に福德の二者を相合せしめむ爲めのものとしては宗敎を必要とすべき理由なし、宗敎は寧ろ道德的性情の冠となりて其を完うするものにして道德が宗敎を基礎として其の上に立つに非ず、換言すれば、道德的感情の高大になりて宇宙の善美に仰ぎ向かふ所即ち其の頂上に達したる所、こゝに宗敎的感情はあるなり。

フランシス、ハッチソン(Francis Hutcheson 一六九四―一七四七)が其の死後一千七百五十五年に出版せられし其の著『道德哲學の組織』("System of Moral Philosophy")に於いて說ける所はシャフツベリーの說を(但し其れの哲學的方面とは相離して)專ら善美に向かふ自然の感情即ち道德官の論を根據として組織立てたるものなり。されど彼れが他の著述『美及び德の觀念の原始に關する硏究』("Inquiry into the Origi-