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伴はると考へたり。

《サミュエル、クラーク及びヲラストンの道德說。》〔三〕以上述べ來たれる議論に於いて已に見ゆるが如く當時の倫理學者がおほむね皆眼中に置ける問題の一つは道德の標準、又其の一つは道德の制裁力なり。而して此等の論の中に在りてカッドヲルス(Cudworth)の論脉を引けりと見るべき趣あるはサミュエル、クラーク(Samuel Clarke 一六七五―一七二九)なり。彼れは吾人の道德を自明なる公理の上に立てむと試みたり。以爲へらく、事物には必然にしてまた永恒なる關係のそれぞれの間に具はるものにして、各事物に對しておのづから其れに適合する(fitness)關係と適合せざる關係とあり、而して其は事物其の物の本來の性に基づけるものにして吾人が理性を以て其を直覺し得べきこと恰も數學上の分量の同不同を認むるが如きものなり。而して吾人の所謂道德も要するにかくの如く事物に適合したる必然の關係に從うて行ふことの外に出でずと。斯く道德を以て數學に於けるが如く論證的に確實なるものとなし得と考へたる點に於いては彼れの說く所大にロックのに似たれどもクラークはロックとは異なりて其等道德上の規律其のものは吾人理性を具ふる者に對しては他の制裁力を待