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の中、一つをば唯だ想像として之れを信ぜず、他を事實として信ずるは後者が印象の强さと活きとしたる所とを吾人の心に思はしむればなり。

《知覺即存在也。》〔五〕吾人が印象に於いて有するものは之れに解釋を附加することなくば直覺的に確實なるものなり。例へば今白紙の色が我が目に見ゆとせむに其の印象の內容則ち白色は、之れに種々の解釋を附せずして唯だ白き色として知覺さるゝことに於いては聊か誤謬なし。即ち印象の內容其の物は直覺的に確實なるものなり。而して其等印象の內容は凡べて時間及び空間に關係を爲し居るものとして知覺せらる。例へば白紙の白き色は幾何かの廣がりを成して其の一部分は他の部分に隣接し又耳に聞く音響は時間上連續を成す。空間に於ける共在と時間に於ける繼續とは原初の印象と相離れざるものにして其の印象の吾人に覺せらるるや時間及び空間に於ける或關係を以てせらる、故に其の共在及び繼續、換言すれば時空に於ける隣接は是れまた直覺的に確實に吾人に知覺せらるゝものなり。されど其の直覺的に確實とせらるゝ、換言すれば其れが疑ふべからざる事實とせらるゝは決して吾人の心を離れたる有樣をいふに非ず、委しく云へば、吾人の心に