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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/288

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なり。視覺の示すところは寧ろ物體の大さと距離とを示す記號たるに過ぎず。此の故に同一の月にても或は大に或は小に見え又同じく谷を隔てゝ同一の山を望むにも其の時の氣象の有樣によりて或は遠く或は近く見ゆ。生來の盲者が醫術によりて視覺を得たる時に凡べての物が遠近を爲さずして悉く皆眼に附著するが如く見えたりといふも亦一例證なり。物の大さと云ひ其の距離と云ひ畢竟觸覺と視覺との結合するによりて思ひ浮かべらるゝもの、即ち視覺によりて得たる感覺に吾が心を以て附加する所あるに起これるなり。目を以て遠近を視ると云ふは恰も目を以て吾人の顏色に喜怒哀樂を視ると云ふが如し。運動と云ひ、廣さと云ひ、遠近と云ひ、此等は凡べて感覺にあらずして寧ろ吾人の心を以て感覺に附加する所の關係なり、而して其れが感覺相互の關係なりと云ふことが已に其の吾人の知覺を離れて客觀的に存在して居るものにあらざることを示すなり。

《視覺新論のロックの知識論に對する關係。》〔三〕上に述べたるバークレーの視覺論は心理學上一の新生面を開き出だし延いて知識論上頗る重大なる結果を來たしゝものなり。其の論に從へばロックの所謂第一性質及び第二性質の區別は破れざるべからず、そは物の廣さも、又從ひ