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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/227

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神に就きて論ずるものにして之れを神學theologia)といふ。次ぎに實踐哲學も理體學と同じく總論と各論とに分かる。其の總論は實踐哲學全體の基礎と見るべきものの論にして之れを philosophia practica universalis と云ひ、而して各論と見るべきものは亦三部に分かたる、吾人を個々人として論ずるもの之れを道德學(ethica)と云ひ、一家族を成すものとして吾人を論ずるもの之れを經濟學(economica)と云ひ、國家といふ團體を成すものとして吾人を論ずるもの之れを政治學(politica)といふ。(此の區別はアリストテレースに由來せり。)

《ヺルフの哲學攷究法。》〔三〕哲學攷究の方法よりいふ時は究理(又は唯理)學派の特色は其の極端の形を具して特に明らかにヺルフの思想に現はれ來たれるを見る。彼れに從へば、哲學は吾人の槪念を以て推究し行くもの、專ら分析を用ゐ行くものなり。此の故に彼れの立脚地よりすれば吾人の出立點としたる槪念を分析して其の中に含まれたるものを分かち出だすによりて能く吾人の一切の哲學的知識は組成せらる。是れ正さしくデカルトが其の疑ふべからずとしたる自我の意識より出立して論步を進め、スピノーザが本體の觀念を根據として推究したる論法を尙ほ一層明ら