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吾人は啻だ自己の活動の進みて完全となり隨うて幸福なる狀態に在らむことを求むるのみならず自然に他人をも完からしめ幸福ならしめむと力むる傾向を具ふ、而して一切の社會的道德、即ち人と人との間に自然に成立する權利義務はこゝに其の根據を有す。所謂自然の道德法に三段階を分かてば、曰はく、第一には「何人をも害ふ勿れ」といふ正義の德(jus strictum)、第二には「各〻與ふるに其の得るに價する所を以てせよ」といふ公義の德(aequitas)、第三即ち最高の段には「禮を盡くせ」といふ修禮の德(pietas)、是れなり。
《ライブニッツの根本思想は調和といふ觀念にあり。》〔一四〕ライブニッツ以爲へらく、萬有は凡べて調和を現じ居るもの、而して吾人の知識は其の調和を知らむことを以て目的とし、吾人の行爲は吾人に於いて圓滿なる調和を實現せむことを力む。而して同じく調和を認知するにも其を明瞭に知るは是れ即ち學理的知識にして其を漠然と知る所には所謂觀美の感を起こす、換言すれば、一物を見て美はしと思ふは其の物に於ける調和を漠然と思ひ浮かベたる也。例へば音樂を聽きて其の美を感ずるは其の音曲に具はれる音律の調和を漠然と認識せるなり。數理上其の調和を明らかに意識するは是れ即ち學理