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の理由を有するもののみ也。斯くの如く事實の穿鑿に理由則を用ゐて考ふるは是れ吾人が理性のはたらきなり。かほど明らかに論理上の則と事實上の則とを分かち各〻に特別の原則ありとして之れを揭げ出だしたるは先づライブニッツを以て嚆矢とせざる可からず。

事實上の穿鑿に於いても吾人は其が據りて立つ若干の根本的事實を言ひ表はす判定を揭ぐるを得、而して此等の根本的事實は先づ許多の事實を蒐集し比較し而して其が基本となるものを發見することによりて得らるゝなり。凡そ吾人の知識する所は其が證明を追ひ行けば終に一は若干の根本的自同判定に基ゐし、一は根本的事實を言表する若干の判定に基ゐするものとなる、而して此等は共に吾人の認識に對しては直接の關係を有するもの、即ち共に他の媒介を要せずして直接に吾人に承認せらるゝもの也。生得の觀念も亦其の理由を問ひ質すに於いては件の若干の根本的判定の上に其の證明を求めざる可からず。此等の根本的判定を基として推究し結合し行かば吾人は正確なる知識を組み立つることを得べし。斯く考へてライブニッツは其等の根本的判定にそれぞれ適當なる記號を與へむ