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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/196

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り同一景色を見るが如し。モナドは皆各自に特殊なる立ち塲より萬有を映ずるなれば一と他との間に差別はあれど、畢竟ずるに連續律に從ふ程度の差別にして此等皆相契合して同一宇宙を縮寫するなり。斯くの如く各モナドは其の表現に明不明の差等はありながら又全く相異なるものに非ざることは先きに說きし類推律を以ても知るを得。盖し全く相同じきモナドは無けれども、また全く相異なるモナドも無し、之れを要するにモナドは皆其の類を同じうするもの也。其の類を同じうすとは明不明の程度の差別を具へながら同一宇宙を表現するの謂ひなり。而して斯くの如く各モナドが獨立に生具する所を自發するや其の趣の相契合することの(換言すれば、類推律に從うて彼れより是れを推知するを得ることの)窮極的根據は神なり、即ち神はモナドの存在と其の調和との原因なり。されどモナドは思想上に於いては本來永恒の眞理として無始より神に存在せるもの、言ひ換ふれば、現在するモナドは其の存在を與へらるゝに先きだちて已に神の心に於いて存在せるもの、而して神の心に於ける其が存在は神の意志を以て自由に造り出だせるものに非ずして、本來神性(神智)に具はれるもの也。而して其が神の心に