コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu04.djvu/175

提供:Wikisource
このページは校正済みです

の知れる凡べての事物の中、最も確實なるは神なり、彼れは吾人自己の存在よりも更に確實なるものなり。吾人は神に接し神の啓示によりて始めて眞知識に達するを得べしと。

《ダニエル、ユエー。》〔四〕ダニエル、ユエー(Daniel Huet 一六三〇―一七二一)は懷疑說を取りてデカルト及びスピノーザに對し大に反對の意見を主張せり。彼れは吾人の理性の信憑するに足らざることを言ひ、偏へに天啓に依賴するの必要を說き吾人の推理したることも其の信ずべきか否かの判別は遂に其の標準を天啓に求めざる可からずと考へたり。而して斯く彼れは懷疑說の立脚地より吾人の理性の不能なることを說くと共におのづから感覺論の見地に近づけり。以爲へらく、吾人の感官によりて得たることの外は吾人の知解に存するもの無しと。

《當代最大の懷疑論者ピエール、ベール。》〔五〕當代の懷疑論者として最も大なるをピエール、ベール(Pierre Bayle 一六四七―一七〇六)とす。彼れ初めはデカルトの學說に其の心を傾けたりしが後には專ら懷疑說の見地を取りて諸種の學說を評論することに力めたり。其の評論の一結果として見るべきは彼れの有名なる著作『ディクショネール、イストリック、