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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/174

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一事が他の一事の後に來たることを見るに止まり、一事が他の一事の故を以て來たりたりと云ふことは吾人が思想の附加する所に外ならず、即ち從來一事が常に他の一事と相前後して來たりたるを見て其の間に因果の關係あらむと察するのみ、必ず其の間に然る關係ありとは確知する能はずと論じたり。此の因果律の論評に於いてグランヸルはヒュームの先驅たりしなり。

《ピエール、ポアレ。》〔三〕ピエール、ポアレ(Pierre Poiret 一六四六―一七一九)亦佛蘭西人にして初めはデカルトの哲學に服せしが後に懷疑說を取りて彼れを離れ殊にスピノーザに對しては嫌惡の情を懷けり。彼れの說く所に從へば、吾人の知力に自動的のものと所動的のものとあり。自動的のものによりて吾人は數學等に於ける觀念を思ひ浮かぶ、されど此等の觀念は事物の實相を示すものに非ずして唯だ其の影を捉らふるが如きものに過ぎず、且つ數學の精神を究め行かば竟に凡べてを機械的必然の作用と見て吾人の自由を否むに立ち至らざる可からず。之れよりも却りて高尙なるは所動的の智なり、こは自ら觀念を作らずして他より受くるもの即ち五官に現はるゝ世界を見、且つ神の啓示によりて眞知を得るもの、これなり。吾人