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infinitus)を成すものとして永恒のものなるを以て吾人も亦其の如き觀念を有することに於いて永恒なることを得。但しこゝに永恒と謂ふは一個人が個人としての存在を時間上無限に繼續するの謂ひに非ず。スピノーザに取りては個人の獨立的存在と云ひ、或は時間上の繼續といふが如きは畢竟吾人の差別見の假造したる者に外ならず。盖し吾人は個人としては有限樣の一なり、大海の一波瀾に外ならず、唯だ全き觀念を得、萬物の本體(神)を知識することに於いて時間を脫したる永恒の存在を得べきのみ。
《スピノーザ哲學の三要素及び其の難點。》〔一九〕以上叙述し求たりたるスピノーザが哲學を顧みれば明らかに三種の異なる要素あるを認むべし。第一は自然論風の思想にしてこはホッブス等に得たる所多かるべく、而して此の要素は主もに彼れが心理及び國家の論に於いて發見せらる。第二はデカルトに淵源せる主知論(intellectualism)の要素にして此等は主として智識論及び形而上論に於いて認むることを得。第三は神祕說にしてこは彼れが元來の宗敎的傾向に基づけるもの、其の神に對する理智の愛を說ける所の如き最も明らかに此の方面を表現せるものなり。但し此の神祕的方面はスピ