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《差別の妄見、煩惱を脫して知性を明らかにするところに道德存す、寂靜主義、神に對する知性の愛。》〔一八〕吾人は須らく差別に束縛されたる妄見を脫し進みて我が知性を明らかにし其の活動を全うする狀態に進みゆくべし。吾人の道德と名づくるものここに存す。德の根本とも稱すべきは吾人の心力の勇壯なる(fortitudo)に在り、言ひ換ふれば、吾人の心が他に制御せられずして十分に其の活動を現ずる狀態に在り、而して吾人の心が其の如く十分の力を具へて活動する所、他言もて云へば、所謂自衞の性を全うする所は是れ喜悅を覺ゆる狀態なり。一切の嫉妬、恐怖、情惡等の情念は凡べて吾人に苦痛を與ふるもの凡べて吾人が心の活動の十分に伸長せざるに原由するものにして賢人は此等の情念によりて其の心を攪亂されず。吾人の精神勇壯に活動して知性明瞭なる觀念を以て働く時は他を嫉拓し、恐怖し、憎惡する念慮は絕えてなく却りて他を益し共に其の性を全うせむの志を厚くし來たる。何となればこゝに至りては自他を共に全くせしむるが最も自由に吾人の本性を開發する道なりと認むればなり。吾人が嫉妬、恐怖、憎惡、諍鬪等の諸情に攪擾せらるゝは畢竟ずるに吾人の心が未だ自ら十分に其の活動を進むる能はずして他に制限束縛せられ居る狀態に在ればなり。吾人は須らく斯くの如き奴隸的狀態