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見るに至りきと思はる。スピノーザは斯くして其の眼界の次第に廣うなるに隨ひて益〻猶太の宗敎を以て滿足せざるに至り、而して彼れが意見の漸次に變じ來たるに隨ひて猶太人なる彼れが仲間の中に其の變說に著目する者出で來て遂に其の意中を嗅ぎ出ださるゝに至れり。スピノーザが變說の知らるゝや同人等は其のまゝに彼れを措くこと能はずとて大に彼れを詰問し、或は賺し、或は威し、はては若干の年金を贈る可ければ在來の信仰を吿白せよと云ふに至りたれど彼れ之れを聽かざりしかば遂に一日黃昏刺客の刃に罹らむとしたりしが唯だ外套を貫かれたるのみにて其の身は幸に無事なるを得たり。其の後彼れは猶太人間に定められたる掟に從ひ全く猶太人の緣を絕たれ神に呪はれたる者として放逐せられき。此の嚴かなる放逐の式を行はれたるは彼れが廿三歲の時なりき。

爾後彼れはアムステルダムの傍りなる知己の家に寓し曾て習ひ得たりし眼鏡レンズ磨きを爲して口を糊し專ら哲學の硏究に其の心を凝らしたり。此の時よりして已に學問上彼れの指導を受けむと欲する篤志の靑年彼れを中心として會合したりしが如し。千六百六十一年リンスブルグに移り、此處にて『デ、インテレクトゥス、エ