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くる限りある心體の存在を確かめ、而して神即ち絕對に無限なる者の存在に論じ至り、次ぎに物體の存在に論じ至れり。是に至りて此の三つの者の存在は疑ふべからざることとなりぬ、無限者、心體及び物體是れなり。而してデカルトは無限者即ち神を以て實體(substantia)となせり。彼れが所謂實體は他に依らずして存在するもの、即ち自存するものなり。彼れは亦心と物とをも實體と名づけたり。但し神を實體といへると同一の意義にて云へるにはあらず。何となれば有限なる心體及び物體は神に依りて存在するものなれば也。されど心物は神に依る外に、依りて存在する所を有せず、心は心として存在して物に待つ所なく、物は物として存在して心に待つ所なし。盖し心は意識するものにして物は廣がれるもの、而して意識と廣袤とは全く其の性を異にして一が他に依りて存在するものに非ざれば也。されば神を第一義の實體といふに對して心體及び物體を第二義の實體と謂ふべし。
心體と物體とが各〻實體として知らるゝはそが各〻特殊の性(attributum)を具ふればなり。心體の何なるかを問はば、念ふことをするものといふ外なし、即ち念ひとい