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一なることとは決して相合するものにあらずと見て大膽にも變化雜多を拒否したるものあり、エレア學派これ也。若し一原物が變化して萬物を生じたりとせば其の原物は他物と爲りかはりたる也。然れば他物即ち雜多の個々物は旣に原物に同じきものにあらず、別に自己の性體を具へて存在するものなれば原物が未だこの他物と爲りかはらざる時に於いて實有なりし如く此の他物は今其の原物の旣に變化し了はりたる後に於いては全く實有なり。假令この他物は復た原物と爲りかはるべき時期ありとも是れ均しく實有なるものの相繼ぎ相代はるに過ぎずして殊更に其の一方をのみ實有の本體とは云ふべからず。又一物素(原物)が個々なる他物に全く變化し去らば少なくとも其の他物に變じたるだけは其の物素の滅して其の代はりに他物の生じたりと云はざる可からず、而して其の他物が苒び物素と爲りかはる時にはそれだけ其の他物の滅して物素の生じたりと云はざる可からず。若し又諸物が一物素より生ずる時に於いて、又生じたる後に於いても、其の萬物に於けるの物素が毫もその自性自體を變ずることなくば何故に一原物より千差萬別の個々物を生出するかを解する能はず。此の困難を脫せむがため