Page:Onishihakushizenshu03.djvu/9

提供:Wikisource
このページは検証済みです

故文󠄁學博士大西祝󠄀先生小傳

文󠄁學博士大西祝󠄀は岡山藩士木全󠄁正脩の三男にして元治元年八月七日岡山城下に生まる。十五歲にして叔父󠄁大西定道󠄁の家を嗣ぐ。幼にして鄕里の小學校󠄁に學び、明治十年九月京都󠄀同志社󠄁に入り十四年普通󠄁科を卒業󠄂し十七年神󠄀學科を卒業󠄂す。同年秋東京に出で翌年一月東京大學豫備門第三年級に入り、九月東京大學文󠄁學部に入り、文󠄁學部改まりて文󠄁科大學となるに及び其の哲學科を修め、每年特待生たり。二十二年七月文󠄁科大學硏究生たることを命ぜられ給費を受く。二十四年九月東京專門學校󠄁(早稻田大學)に聘せられて講󠄁師となり哲學に關する講󠄁義を擔當して卅一年二月に至る。此の間又󠄂先進󠄁學院に教頭として哲學の諸󠄀科を講󠄁じ、『六合雜誌』の編輯を負擔す。三十年十一月高等師範學校󠄁倫理科講󠄁師を囑託せらる。三十一年二月歐洲留學を命ぜられ先づ獨逸󠄉に行きイェーナ大學に遊󠄁ぶこと六ヶ月にして十一月ライプチヒ