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ものを指せるなりと。クセノファネースが萬有即一體、而して此の一體これ神なりといひし時には、一なる全世界そのものを指していへるにて世界以外に神ありてこれが世界を創造したるやうに考へしにはあらざらむ。然れども又彼れは世界中の局部を指してこれを小さき神々とも名づけしならむか。彼れの思考せる所既に頗る俗間の思想とは其の趣を異にせる所あるは明らかなるが、彼れの言に神その心の思ひによりて萬物を司配すとあるを見て彼れ神を靈なる者と思ひしと解するは非なり。當時は未だ物體と區別して心靈を思ふことなかりき。アナクシマンドロスが世界を指して神といひしが如く、クセノファネースも亦全世界を神といへる也。ただ、彼れは通俗の宗敎思想を批評したる結果として其の神を一體なりとし、而して其の一體を萬有の全體と同一と視且つこれを恒久不動のものと視たる也。但し宗敎思想の批評によりて得たる神てふ觀念とミレートス學派に由來せる一元說とは未だクセノファネースに於いては能く調和せられでありし也。

《天文說。》〔四〕クセノファネースの天文氣象の說に關しては精しきことは知れず。彼れが說として傳へいふ、日月をはじめ虹霓等の天象は光輝ある雲即ち燃ゆる蒸發氣を