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タレース(Θαλῆς

《タレースの傳。》〔二〕タレースは小亞細亞西南岸のイオニア族の一都府なるミレートスの市民にして其の生死の年月定かならず、まづ西曆紀元前六百年頃の人と思はば甚だしき誤謬なかるべし。その經歷及び學說については古來種々の傳說あれど信じがたきもの多し。唯だ埃及を遍歷して彼の國の僧侶より數學上の智識を得來たりぬといふことは疑ふべき理由なきが如し、彼れ初めて幾何學上の智識を埃及より傳へたりとは一般に言ひ傅へたる所なり。又彼れが西曆紀元前五百八十五年五月二十八日の日蝕を豫知しきといふことも實事なるべし。彼れは又世事に明らかにして當時の政治にも參與しきと思はる。これその常に希臘七賢人の第一に數へられたる所以なるべし。

《タレースの說、萬物は水より成る。》〔三〕さてタレースが學說の主點とせるところは萬物は水より成れりといふにあり。如何なる理由により水を以て萬物の本原となしゝかは今日よりこれを確知せむよしなし、又件の水は如何なる方法順序によりて萬物を生出すると說き