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す可からざる神意の活動によりて定まるものなりとせり。

次ぎに人間の祝福に關してトマスは曰はく吾人が至極の祝福は神を知り彼れを觀ずること(visio divinae essentiae)に在り、彼れを觀ずることに自然に彼れを愛することは附隨し來たると。スコートスは曰はく吾人の祝福は知性の狀態にあらずして寧ろ意志の狀態に在り即ち意志が神にのみ向かひて只管彼れを愛する狀態に在りと。

トマスはアウグスティーヌスに從ひて吾人の救はるゝと否とは些も吾人の意志の與る所に非ずして唯だ神の恩惠による而して其の恩惠の降る時には吾人に其を受けざる自由なし、神惠は拒み得べからざるもの(gratia irresistibilis)なりと考へたり。スコートスは以爲へらく、吾人の救濟を得ると否との決定は一分吾人が自由意志に懸かれりと。また彼れは人間が罪過なくして生涯を渡るは實際には無きことながら事理の上に於いて由來得べからざる事にあらず、自家撞着の事に非ずと云へり。スコートスはアウグスティーヌスが意志を重んずる論に立ちて更にそが正當の論步を進めたるなり。