コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu03.djvu/490

提供:Wikisource
このページは校正済みです

《スコートスが信仰と道理とを分離せしめたる根據。》〔七〕スコートスが神學と哲學(信仰と道理)とを分離せしめたることの根據は深く彼れが神の意志に關する所論に根ざせり。彼れは曰はく、神の所業しわざは凡べて其の絕對に自由なる意志によりて出で來たるもの而して其の意志みづからの活動以外に其の活動を規定すべき道理と云ふものなしと。即ち彼れの趣旨を推究し行けば吾人は道理上神の作爲を推究すること能はず、神學上(宗敎上)のことは唯だ天啓によりて示され而して信仰を以て受け納るゝより外に之れを知測思議すべき道なしといふ結論に達せざる可からず。スコートス自身はさばかり明瞭に兩者の差別けぢめを言ひ表はさざりきと雖も是れ正さしく彼れが所論の自然の歸結なり。盖し彼れは深くアウグスティーヌスに負ふところありて其の意志を重んずる立脚地を襲ひたり。是に至りて嚮にアウグスティーヌスに存在し延いては中世紀哲學在來の思想に存在せりし二流の思想は明らかに分離するに至れり、即ち希臘の哲學より傳はれる知性を根本とする論(アウグスティーヌスに於いては新プラトーン學派風の思想を引きて神を觀ずといふ至高の狀態を說ける所に存在するもの)と意志を以て吾人の精神作用また廣くは凡べての實在の根據となす論と是れな