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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/484

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らむとせり。而して其の如き批評的思想の自然の結果として從來の神學的論證の効力に疑惑を挾み遂に道理と信仰との分離を促すに至れり。

《其の信仰と道理との分離論。》〔二〕スコートスは在來のスコラ哲學者に優りてアリストテレースの哲學の眞意義を看取し從ひて該哲學と敎會の宗義(卽ち聖書及び敎父時代の所傅に基づけるもの)との間には抹すべからざる差違あることを發見せり。斯くしてスコートスは哲學者が自然のものとして承認する事柄も神學者(卽ち宗敎家)には罪惡に基ゐしたる墮落の結果と見做さるとさへ云へるところあり。彼れはまた事のついでに哲學者に取りて眞理なることも神學者に取りては非眞理と見らるべきこともあらむと云へり。彼れ神學と哲學とを區別して曰はく、神學は專ら實際的のもの哲學は理論的のものなり兩者は各〻其の範圍を異にすと。看るべしスコートスに至りては道理と信仰との關係はトマスに於けるが如く一が他を全うするに非ずして寧ろ異別のものとして相分かたるゝに至れることを。

《道理上論證し得べき範圍の縮小。》〔三〕されど信仰と道理との分離はスコートスに於いては尙ほ未だ後に於けるが如く甚だしからざりき、しかも道理を以て論證し得る敎會の敎義は已に彼れ