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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/48

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くべからざる事なり、又たとひ其の學說の內部に彼れ此れ矛盾するところは無く形式上の統一だけは保てりとするも其の組織の狹隘なるに失してまさに統合すべかりし事柄のうち遺したるものはあらざるかと尋ぬるも是れ亦後の學說の生起上の關係を見るに必要なる事なり。かるが故に哲學史上もろの學說の生起したりし所以を說明するには右揭ぐる三點についての批評を缺くべからず。されば謂ふところ生起の說明を解してかゝる批評を爲すことをも含めるものとするに不可なし。予輩はかゝる意味に解したる生起の說明を爲すものとして哲學史を講ぜむとす。但し專ら內在的批評をなすに方たりても多少史家みづからの哲學上の見識の露出することあるは免れ難き所なるべし。若し完全なる哲學上の見地よりして古來出現したるもろの學說を批判し其の一終局に向かへる進步の跡を審にし得ばこゝに理想的哲學史を編みたりと云ふを得べきも是れ今の歷史家の正當に試み得べき所にあらず。

《西洋哲學史》〔七〕こゝに叙述せむとするは西洋哲學史なり。西洋哲學は其の源を希臘に發し一の連絡ある潮流をなして今日にいたりぬ。通常これを古代、中世、近世の三