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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/425

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關係に就きては未だ明らかに決定するところあらず、或は敎義は哲學上より考へても亦道理にかなふ者なりとせるあり、或は兩者の必ずしも一ならざることを主張せるあり。盖し尙ほ宗敎と哲學、信仰と道理とは唯だ相並びて存在し未だ其の間の關係の明瞭に定められざりし也。中世紀哲學は更に進みて宗敎上の信仰をば哲學上道理あるものとして論ぜむとしたるものなり、別言すれば其の目的、哲學上の究理と宗敎上の信仰との一致することを示さむとするに在り。敎父時代は之れを敎理組織の時代といふべく、中世紀哲學は已に組織せられたる敎理を受け繼ぎ道理に合ふものとして之れに哲學的組織を與へむとしたるものと云ふべし。此の事を成就せむとしたる人々是れ所謂スコラ學者、而して件の目的を以て成れる當時の敎學是れ所謂スコラ哲學なり。

上述せし如く歐洲の文物は一時暗黑時代の裡に沒したりしがシャルマーヌ帝の頃より或は朝廷に附屬し或は寺院に附屬したる學林を興して學者を集め學問に從事せしめたり。當時學者はなべて敎會の僧侶にして其の謂ふ學問は專ら敎法を講ずることにてありき、而して其れらの學林は其の初め傳敎師を養成する目的を以