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と同一なるものなれど父なる神より出でて之れに屬するものなり。即ち子なる神は現はれたる神、父なる神は隱れたる神なり。而して聖靈が子なる神に對する關係は子なる神が父なる神に對すると同じ。

凡そ神に造られたる靈なるものは皆自由なる意志を以て其の本性とす而して彼等の中其の意志の自由を用ゐ誤りて神を離れたる者あり、是れ即ち罪惡の本源なり。彼等はかく罪惡を犯して墮落したれども尙ほ神より享けたる神性を全く失ひたるに非ざるを以て神助によりて再び罪を脫すべき能を具ふ。神明の啓示は人類の原始より今に至るまで存在し希臘の哲學者等にも之れを得たる者あれど其の完全に現はれたるは基督に在り。基督はロゴスの化身して人間となりて救世の目的を達せむとする者而して世界歷史の窮極は凡べての人靈が救世主の媒介によりて遂に皆神に立ち歸るに在り。吾人の救濟せらるゝ順序は信仰に始まりて智識に至り終に神明に合一するの窮竟地に達するにあり。

之れを要するに神が萬物の絕對的原因なること、萬物の造られたるは神の意志の働きによること、人間が其の自由なる意志によりて罪惡を犯すに至れること、基督