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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/402

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づく。亞典派は新プラトーン學派の最後のものなり。プロクロスは凡べての物の分かれ出づるに三段ありとし、第一は自存(μονή)次ぎは出離(πρόοδος)次ぎは復歸(ἐπιστροφή)即ち是れなりと說き、萬物は凡べて此の三段を經つゝ常に三つに分かれ、三つに分かれたるものの各〻が更に三段を經ることによりて三つに分かれ、かくの如くにして凡べてが分岐しまた分岐し行くことを說けり。プロクロスは一面論理上の形式を貫くことに長じたりしと共にまた奔逸せる宗敎的感情と想像とを以て滿たされたり。故に彼れは數多の鬼神及び天使の存在を說き、祈禱呪詛等の効力を說き又禁慾修行を稱揚せり。

《希臘哲學の滅亡、基督敎の勝利。》〔一三〕亞典の學校に於いて一時は從來の希臘思想を新プラトーン學派の中に纒めむと企てしかども畢竟ずるに希臘哲學の生氣は業に已に盡きて復た新思想の起こるべくもあらざりき。五百二十九年にユスティニアン帝が命令を發して公然亞典の學校を閉ぢ哲學者を放逐したる時は唯だ其が表面上の滅亡にして實際は已に其の以前に死せりし也。(亞典の學校の最後の首座を占めし學者をダマスキオスといふ)。茲に至りて希臘の哲學は滅びて基督敎の勝利に歸したり。