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ての神々を取り來たりて之れを一大多神敎につくり上げむとせるなり。彼れはまじなひまた禮拜をも取り來たりて或は像を拜し或は
ヤムブリコスに始まれるシリア派の思想がユリアン帝の懷抱する所となるや一時勢力を得て基督敎に對する强敵となれることあり。
《新プラトーン學派の亞典派。》〔一二〕かくヤムブリコスに於いて益〻著明になり來たれる傾向の進み行くに從ひて哲學は寧ろ宗敎の婢僕なるが如き位置に立つに至り隨つて學說上見るべきものなきに至りしが五世紀より六世紀へかけ亞典府の學校に於いて再びプラトーン及びアリストテレースを硏究して希臘の哲學思想を綜合せむとする傾向を生じたり。此の傾向を起こすことに與りて力ありしは亞典人プルタルコス及びシリアーノスなり、而してシリアーノスの弟子にして又其の繼續者なる
プロクロス
は此の傾向の最も重要なる代表者なり。之れを新プラトーン學派の亞典派と名