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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/400

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體の慾を捨つべしと敎へたり。而してかくの如く靈肉の爭を意識して肉慾と戰ふには益〻宗敎的禮拜によりて神助を仰ぐ必要あることを感じ來たれり。

更に通俗の宗敎に接近し遂に多神敎を組織して之れを當時の宗敎と爲さむと試みたるはヤムブリコスなり。


ヤムブリコス

《ヤムブリコスと多神敎。》〔一〕彼れはポルフィリオスの弟子にしてシリアに住めり紀元後三百三十年頃に歿しき。彼れに始まれる新プラトーン學派の傾向をシリア派と名づく。彼れは宇宙の太原即ち名づくべからざる太一と多なるものとの媒介をなさむが爲め其の間に第二の一なる者をおき、またプローティノスのヌウスをも二つに分かち而して其の各〻が三つに分かれかくして更に分かれて凡べての物と諸〻の神とを生ずと說けり。其の說は畢竟プローティノスの發出論を更に複雜にせるのみなり。而して又彼れは當時通俗宗敎に說く諸〻の神を持ち來たりて件の發出の段階に附會したり。即ち彼れは羅馬帝國に雜在したる種々なる古き宗敎より凡べて