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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/389

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目すべきものにして、其の宗敎時代の問題の解釋を試みむとしたるものなることは尙ほ以下此の時代の思想を叙し行くに從ひて明らかになるべし。

《フィローンの二元論。》〔一〇〕かくの如く神は吾人の言說を絕したるものなれどもロゴスを通ほして萬物に現はる。されどフィローンは此の醜惡なるものの存する世界の由來を說かむには神力に對して尙ほ他のものを說く必要を感じ、而して彼れはこれを物質と名づけたり。おもへらく神はロゴスにより此の混沌たる物質を取りて世界を造れり。世界は造られし始あれども滅する終なし。而して件の物質は凡べて世に存する不善不美なるものの淵源なりと。知るべしフィローンも亦神明對物質の二元論に其の立塲を置けるものなるを。

《罪惡の根本は肉身の愛にあり。》〔一〕人間の靈魂は墮落して肉體の中に宿れるもの、肉體は云はば靈魂の墓なり。此の肉身を愛するが爲めに吾人に罪惡あり吾人は肉と共に罪惡の傾向を生得せるなり。故に吾人は肉に屬するものを脫離し情慾を斷ちて純潔なる靈魂の生活を送らざるべからず、須らく物欲に動かされざる狀態に住すべし(ストア學徒の所謂アパタイアを思ひ合はせよ)。かくの如く物欲の羈絆を脫して淸淨なる