コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu03.djvu/388

提供:Wikisource
このページは校正済みです

を超絕せる神が如何にして能く萬物の淵源となり得べき乎。フィローンは之れを說かむが爲めに神と萬物との中間に在りて媒介を爲すものをおけり。

《ロゴス論。》〔九〕フィローンは此の媒介者を名づけて勢力(δυνάμεις)といへり。此等の勢力が神に對する關係に就きては彼れの說く所明瞭ならざれども、要するに其の思想はストア學派の說及びプラトーンのイデア論に由來せり。彼れは此等の勢力を名づけて神の觀念即ちイデアとも云ひまた神のしもべ(是れ猶太敎に謂ふ天使てふ觀念を持ち來たれるもの)とも云へり。而して此等の勢力の全體を自己の中に統一するものをロゴスとす(ストア學派のロゴス論を思ひ合はせよ)而してこのロゴス是れ即ち神と世界との媒介を爲すものなり。フィローンはロゴスを名づけて神の代表者、神の使者、神の智慧、造化の機關、世界の模範、神の第一子、又は第二の神ともいへり。神は世界を超越せる者なれども彼れを現はすロゴスを通ほして萬物は造化せらるゝなり。されど此のロゴスの心あり意識あるものなるか否かに就きてはフィローンの說く所明瞭ならず。

此のロゴス(即ち神と世界との間に介するもの)論はフィローンの說に於いて最も注