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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/379

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り。意識以上に意識を超絕したる狀態ありとしてそを求むることはプラトーンの哲學を始め他の在來の希臘固有の思想には見るを得ざりし所なり。

是に於いて當時の哲學は神祕的となり宗敎的となりしことに於いて大に印度の半ば宗敎半ば哲學といふべき思想と相類似するに至れり。啻に之れと類似せるのみならず、當時に在りて相互の影響の存せし事實は否まれざるべし。盖しアレクサンドロスの遠征以後印度との交通は其の思想の西方に流入することを致しゝならむ。

此の宗敎的哲學の問題を一言に云ひ表はせば、吾人が墮落して形骸に繫がれ居る狀態を脫して吾人の本源なる絕對者に歸ることに於いて全き安心を得むとするに在りき。是れ即ち不善、不美、不完全なる狀態より吾人の救はれ出でむことを求むる救濟の問題なり。

《宗敎時代の新產物。》〔三〕此の宗敎時代の思想は西紀前第一世紀頃に始まりきと見て可ならむ。羅馬帝國が諸種の人民を其の統治の下に集めたると共に諸種の風俗習慣入り亂れ從ひて諸種の宗敎相觸れ相交はりて宗敎上の新現象を誘起し來たれり。時代