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の相は知るべからざれども其の或然の度を看る時は吾人の行爲することに於いて敢て差支ふることなくまた吾人の實際爲し得る所はかばかりの事に過ぎず而して或然の度に從ひて吾人の實際に行ふべき事柄に就いてカルネアデースの說きし所は古アカデミーの修身說と甚だしき差別なかりき。

カルネアデースの說には論理上精微なるふしなきにしもあらず然れども彼れは其の說ける如き懷疑說の根據の上に如何にして或然の眞理を立て得るか、懷疑說の根據より正當に論じ來たらば能く或然の差等を定めて一が他よりも眞實まことらしといふ判斷さへも爲し得ざるに非ずやといふ疑問を揭げ出だしこれを精考することを爲さざりしが如し。

《アカデミーの折衷的傾向。》〔八〕アカデミーは後また懷疑說を離れて折哀的傾向を帶び來たり而して件の傾向はラリッサ人フィローン(羅馬に於いてシセロの師となれることあり西紀前八十年頃に死にき)に至りて著るくなれり。而して更に明らかにアカデミーを懷疑說より折衷說に移しゝはフィローンを繼ぎしアンティオコスなり(西紀前六十八年に歿せり)。フィローン及びアンティオコス時代のアカデミーをば第四及び第五ア力